「ロックは反抗する音楽であるべきである」、「オリジナリティの欠如は恥ずべきだ」、「既存のジャンルをただなぞるばかりの退屈な音楽は望ましくない」、「Jポップの英詞は文法的に正確であるべきだ」等々、音楽を巡る言説にはあまりにも多くの美的=倫理的定言命法が満ちあふれているが、それらは「たまたま自分の好みにあった」アドホックな主張に過ぎないことがほとんどだ。それらの言明が実際に「何を」指図しているのか。その欲望はどのように混乱し、何をもくろんでいるのか。音楽批評が「まともな言説」であるために目指すべき方向は、「音楽それ自体」の意味を独占するべく奮闘することではなく、これら倫理的言明の解読と脱構築を推進することによって、窮屈で混乱した音楽言説の道徳律を相対化することにほかなるまい。